上杉謙信〜関東管領職〜

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そもそも、上杉謙信は越後の守護代長尾家の子であり、名を長尾景虎と呼んだ。

なぜ上杉になったかというと、1561年、景虎は北条氏康に追われた関東管領上杉憲政を擁して大軍で小田原城を攻める。しかし小田原城は堅城であり、1ヶ月の攻防戦の末、景虎は落とすことができなかったので、鎌倉に退去した。そのと時、上杉憲政の要請もあって景虎は鎌倉の鶴岡八幡宮において山内上杉氏の家督と関東管領職を相続することとなり、名を上杉政虎と改めた。


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